リバイバルを妨げるもの

Part 1

主の、種のたとえによる教えは、リバイバルの妨げになるものに関するものである。ここに全ての箇所を載せる事は避け、私はここでマタイ13:1-9,18-23にある聖書箇所について言及したい。

第一のリバイバルの妨げ・・・無知

種の例えの第一のレッスンは、神の言葉に対する無知である。それは教えがないことによってではなく、聞くものの解釈が原因である。

普通、会衆というのは、さまざまな宗教的な背景と経験・・・さまざまな家庭、教育の文化的背景からくる・・をもった、信者のグループに分けられる。神の御言葉の真理が生活の中で実践され、教えられてきたクリスチャンホームに育てられてきた人はまれである。多くの人々は、さまざまな教理的な教えの中で育てられてきた。異教的な教えや、全く宗教を持たない家庭で育てられたものもいる。平均的な信者は、彼らのクリスチャン生活を安定させるために必要な教理的な真理の理解がほとんどない。

ほとんどの人々は、クリスチャン生活がどんなものであるか、またクリスチャンとしての期待される責任がどんなものであるのかについて、先入観を持っている。伝統的で保守的な信仰を持った人もいれば、近代的でリベラルな信仰を持っている人もいる。聖書の真理に対して忠実でないライフスタイルを正当化する人がいる一方、忠実に地域の教会に毎週通い、献金を治めていれば、やるべき事をしていると考える人もいる。これは、無知から来るもう一つの問題である。

何年にもわたって、決まりきった、つまらない日曜礼拝の一時的な特効薬として、説教や、賛美や、招きによる感情的な高ぶりをリバイバルと定義するような「リバイバル」集会や、「キャンプ・ミーティング」を行ってきた。これも無知のもたらすもう一つの問題である。

教えを受けていない、または間違った教えを受けた信者はキリストにあるより深い生活が必要であり、それが実行可能であるということを知らないゆえに、本物のリバイバルを求める事を妨げられている。

第二のリバイバルの妨げ・・・恐れ

種の例えの第二のレッスンは、恐れに関するものである。恐れが来る原因の最も多いものは、安定しない、揺れ動くクリスチャンとしての経験から来る。キリストにある認罪・・・それは神の御言葉によって神の霊がもたらす・・という固い土壌に根ざしていないクリスチャンは、彼らの信仰に対するどんな新しい提案に対しても恐れを感じる。

リバイバルを提案する事は、もし彼らがリバイバルされたなら、彼らに期待されるかもしれない事柄に対する恐れを引き起こす。彼らは、彼らがどのように行動するようになり、他の人が彼らをどんな目で見るようになるかを恐れるのである。彼らは感情と衝動を持つようになる事・・神の御声に導かれていようが自分の願いに従っていようが・・を恐れる。彼らは彼らの能力、年齢、個人的なタラントが神の働きに適していない事を恐れる。

どんな恐れであろうと、もしそれがとどまるのを許し取り扱われなければ、本物のリバイバルを妨げる事になる。

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