霊的成長の第2段階:クリスチャンの青年期
: キリストが全ての主である
イエス・キリストの主権
キリストの主権を実践することによって認める
動機が良くても、良い結果を招くとは限りません。良い出だしも、良い終末を迎える保証にはなりません。決断は、始まりにしか過ぎないのです。あなたが一旦、キリストの主権を人生に迎える決心をしたら、キリストは主であることに毎時間、毎日の生活において従って行くべきです。右の図にいくつかの部分を記しておきますので、少し時間を取ってあなたがキリストを主としているかを自己評価してみてください。
キリストがあなたの人生の主権を握っているかどうかを知るには、"わたしは、キリストの望むことなら何でもこの分野に関して喜んでするだろうか?この分野で何が起きても、神に感謝することができるだろうか?"と自問自答してください。
私たちは、もしお金、時間、学歴などがもっとあれば、主のために何かできるのに、と考える必要はないのです。私たちがもっているもので今、何ができるかを考えるべきなのです。大切なのは、私たちがどのようなものというよりも、キリストが私たちを支配しているか、ということなのです。
あなたが、自分で人生をコントロールしていると思うとき、すぐに私たちは喜びが無くなり、不安になってきます。ペテロは、神の力強い御手のしたにへりくだり、思い煩いをいっさい神にゆだねなさいと勧めています(Iペテロ5:6-7)。私たちの心配がキリストの手にゆだねられていないと、"世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません"(マルコ4:19)。キリストに従う決意をした者は、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、キリストについていくのです(ルカ9:23)。
パウロは、クリスチャンがどのように生活態度を心がけるかをコロサイ3:23-24で述べています。何をするにも、主に対してするように、心からするのです。ありふれた小さなことでも、心をこめてキリストに仕えるようにするのです。あなたが、キリストを本当に主としているならば、キリストを主と呼ぶだけには終わらず、キリストの言うことに従うはずです(ルカ6:46)。ルカ18:28-30には弟子達が自分の持っていたものすべてを捨てて従い、キリストは、その報いと永遠のいのちを約束されています。あなたにとって、キリストを主とすることが、個人的にどのような意味かを考えてみてください。
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